メリー先生 輪島に行く
2024/08/16
輪島にいっていいんですか?!
メリー歯科の受付Dさんの娘さんは輪島で漆職人をしていて、今年の震災で被災されました。
Wさんも会社の人も命は無事でしたが、会社は倒壊し、家にも住めなくなり、仕事も普通の生活もままならず被災者としてしばらくの期間過ごしました。
今、Dさんは娘さんの愛する輪島に少しでも役立ちたいと週末やお休みにボランティアをしています。
そんなDさんに一つ質問をしました。
「今、輪島に旅行にいくのは現地の人からすればご迷惑なのでしょうか?」。
震災から半年、報道では瓦礫がまだ残っている反面、一部生活も戻り、「食べて応援」などの言葉も出てきていました。
「中には来てほしくない人もいるかもしれませんが、行けるのでしたら行かれたほうがいいと思います」といってDさんはひとつHPを紹介してくれました。
そこにはボランティアの方が現地の人にアンケートを取り、多数の住民の方が「震災した輪島をみてほしい」という意見が多いことが書いてありました。
正直、「みてほしい」というのは驚きましたが、それなら見に行って東京で私達ができることを考えようということですぐ新幹線のチケットを取りました。
2024年7月14日の輪島の体験記をご紹介します。
輪島までの道
金沢駅からレンタカーで輪島を目指します。
能越自動車道 穴水ICまでは40KM制限になり、かなり道がデコボコしてきます。もちろん震災による修復のためです。
穴水ICから輪島への一般道も段差があったり、迂回路になっています。
震災直後のような渋滞などもすでに解消され、しっかり路面を見て運転すれば普通車で全く問題なく行き来できますが、至る場所に震災の爪痕を感じさせるものが残っています。
輪島まであと20分ほどの道路から徐々に「段差あり注意」の看板が増えてきます。
地震によって「橋梁(基礎)の跳ね上げ」などといわれる現象が起きるそうで、橋だけが30センチほど上がり、反対に橋をつなぐ道路が下がって大きな段差ができています。
今は段差にスロープのような舗装がされているので車は通れて社会的機能は回復していますが、一部の歩道などに震災の傷を見ることができます。
土砂崩れによって山肌が露出している場所も増えてきます。
ぐちゃぐちゃの木や根が留まっていて、土砂崩れの勢いそのままに時間が止まったように見えます。
多くの民家にブルーシートが屋根にかぶせてあります。
ほとんどが棟と呼ばれる屋根の一番高い場所から水漏れがしているようで、ブルーシートが覆われている家が多いです。
民家や倉庫などが倒壊した建物が増えてきます。
輪島の倒壊した建物
輪島市内の建物はすべて倒れているわけではありませんでした。
印象としては、5軒の家のうち、1軒が完全に倒壊、1軒がガラス窓などが壊れていて人がいなく、残りの3軒が外から見る限り全くの無傷といった印象です。
確かに倒壊した家は築年数が多そうな家が多いですが、古い家でも全く問題なさそうな家も多くあります。
この差はかなり意外でした。
Wちゃん曰く、その場所の土壌がもと田んぼだったり、揺れの方向が家にとって弱い方向だったりしたから壊れたのではないかといわれれいるそうです。
すでに輪島で営業している食堂で昼食を食べましたが、店はお客さんがたくさんいてご飯を食べているのに、ガラス越しに見える建物は倒壊していて、日常的な生活の中でも被害の差の大きさを感じます。
地域拠点としての神社
震災が起きて一月ほど経ったころ、Wちゃんが震災地に物資を届けてくれるとなり、慌てて近所のスーパーでビタミン剤となぜかハイチュウを買って送り、被災地で配ってもらいました。
スタッフから「なぜハイチュウ!?」といじられまくりましたが、意外にも大人の嗜好品として好評だったり、野菜が不足しているからビタミン剤は助かるなどのお言葉を頂きたそうで、とても嬉しく思いました。
で、そのときに配布をしてくれたのが、この重蔵神社です。
ユニセフなど様々な仮設テントを敷地に受け入れ、炊き出しなどもしていたようです。今も物資の配布などで活躍しています。先日も登山家の野口健さんが野菜を配っていたそうです。
東京にいると神社のありがたみを感じることはあまりないのですが、このようなときに神社は地理的にも社会的にも本来の意味と機能を発揮するように思えます。
震災直後にもこの近くで炊き出しが行われたそうです。
神社も被災しているのに復興の拠点として輪島のために頑張っているんだなと感じました。
重蔵神社 インストアカウント
https://www.instagram.com/juzoshrine/
重蔵神社さんでは義援金や支援物資を募集しています。ご協力をお願いいたします。
火事は予想していなかった
なんどか報道でみたことがある火事の現場にもいきました。
地震はある程度覚悟していたのですが、火事の現場は本当に人の痕跡を残さないほど想像を絶する壮絶さで、まるで戦争の跡のようでした。
がれきの中にたまに茶碗やお皿が残っています。
道端にその茶碗が丁寧に重ねておいてありました。
当日見たときは「?」と思っただけでしたが、なぜか頭から離れない。後からDさんに聞いたのですが、自衛隊や消防の方がせめてと食器を重ねて置いといてくれたそうです。
普段は「救助する」とか「道路を通す」などで獅子奮迅の活躍される隊員の方々が、この圧倒的な現場でどれだけの無力感に苛まれたかと思います。
田谷漆器店へ
Wちゃんの働いている田谷漆器店へ連れて行ってもらいました。
田谷漆器店は1階が倒れて、完全に潰れています。逆に2階の上塗り場は形をそのまま残しています。
1階の倒れた部分と2階から機材を救い出して、コンテナに保管してまた仕事するときを待っているそうです。
つぶれた1階から塗装前のお盆が出てきました。
曲げの部分に丁寧に漆で接着したまま年を越せませんでした。
これもしっかり漆を塗れば、家宝になっていてもおかしくないようなものです。
同じくお盆、中程度まで塗りが進んでいたようですが、半年雨ざらしで放置されて傷んでいます。 小箱とお箸。小箱はかなり出来上がっていたそうです。
漆に限らず、日本の工芸品には人の「魂」のようなものが込められていて、創る人も、使う人もその工芸品を別な命のように扱う文化が日本には確かにあるように感じます。このような光景を見ると胸がとても痛みます。
田谷漆器店の事務所です。
こちらは解体の目処が立ってここ数日内で取り壊しされるようで重器が入っています。
見えるところにまだ使えそうなものが残っていますが、柱が完全に斜めになっていて、とても危険です。
建物の中、数m先に立派な詩と額がありますが危険すぎて到底取りには行けません。買いてある内容は能登の素朴で優しい人柄を表しているように感じます。
今、職人さんは仕事場を失い、それぞれ自宅の一角に場所を作ったり、他の工場の一部を間借りして個々に制作できるものを作っているとのことです。
幸い、従業員の方は皆さんご無事だったとのことです。
倒壊した建物にあった詩「生きる喜びをかみしめよう」
という言葉の重みを感じます
また皆さんが一緒にお仕事することをお祈りしています。
田谷漆器店
https://www.wajimanuri.co.jp/
職人さんの励みになります。
お気に入りのものがあればぜひご購入ください
この工場周辺は私が今回見た中で最も壮絶で、目に見える建物がすべて壊れていました。
聞くと、この田谷漆器店周囲はすべて田んぼの跡地だったらしく、地盤がゆるくて被害が特に大きかったとのことです。
朝起きて自分の家がこんな状態になっていて、助けを求めてもご近所の方もみんな同じようになっていたときの気持ちを考えると心苦しくなります。
それでも能登の人は優しかった
帰りに金沢の町によっていくつかのお寺や神社で能登・輪島の方が元気になるようにお祈りしてきました。
そのうちの一つのお寺で、私達がどこにいってきたのか聞かれたので「輪島の知人に会いに行きました」というと「漆職人の方ですか」というので「そうです」というと本当に我が事のような悲しそうな顔をして、見ているこちらがいたたまれなくなってしまい「会社の方はみんな無事で、いま少しづつ仕事しているようでした」とだけお伝えしました。
私がお会いした金沢・能登の方はみんなとても優しい人ばかりでした。食べるものもなにもかも美味しいし、町並みもキレイ。
輪島から人が減っているという報道も聞きますが、地元のスーパーでは「がんばろう輪島、がんばろう能登」と書いた張り紙とシャツを着た店員さんががんばっていました。
名産のお品をたくさん買ってスタッフのお土産にしました。
Wちゃん、輪島の皆さんありがとうございました。
最後に、野口健さんがXに投稿した言葉「見ることは知ること。知ることは背負うこと」本当によくわかりました。
がんばれ能登。がんばれ輪島。
私もここでできることを考えたいと思います。
また、みなさんで同じ場所で一緒にお仕事ができるようになること、みなさんの優しさにふさわしい「生きる喜び」にあふれる毎日をお過ごしになることを東京よりお祈りしています。
令和6年7月16日
メリー歯科 院長
ゆげたゆうこ
綾瀬駅前の歯医者さん メリー歯科:https://www.merrydental.net/
電話:03-5650-5758
住所:〒124-0001 東京都葛飾区小菅4-10-6 下井ビル4階
最寄り駅:千代田線・常磐線 綾瀬駅 徒歩1分